先日の海難事故の話。

 

事の顛末的には

17日のお昼頃に島の70歳くらいの漁師が上画像「?」マークあたり、

甲島(かぶとじま)沖で失踪。

無人の船だけが岩国市の米軍基地に突っ込んで発見された。

(失踪時間は船にお弁当を食べた形跡があったのでそこから推測。)

なお、○マークはサタケを含め、失踪した漁師さんが住んでいる浮島です。

 

先日に続き、翌日18日にもサタケもお師匠と一緒に、

出荷物の運搬船すらも含めて、島の漁師総出で海上保安庁と

力を合わせて行方不明の漁師さんを探し回る。

 

高齢という事もある。

暖かくなってきたとはいえ、海上はまだまだ寒い。

海の中はもっと寒い。生身で落ちたら低体温症も免れないだろう。

サタケと同じタイプの救命胴衣を着用していたという事だが、

このタイプの救命胴衣は膨らんでから24時間しか最大浮力を維持できない。

おまけに最近、足腰が弱くなっていたのか

島でもよく転んでいたとかそういった話もあったらしい。

 

おそらく、見つかったとしても、もう生きてはいないだろう。

遺体を見つけた時、一体どうしたらいいのか。

平静でいられるのだろうか。

直接表現で口に出した人はいなかったけれど、捜索に参加した人、

誰しもがそういった思いを一様に抱いていたのではないだろうか。

(こんなの50年に1回あるかないかくらいの事件らしい。

つまり超ベテラン漁師を除いて、誰もこんな事態には直面したことがない。)

 

それでも漁師にとって、この事件は決して他人事ではないので

皆が使命感に燃えて捜索に参加した。

 

結果、第二次捜索開始から4時間後、

失踪から24時間後に遭難者は亡くなって見つかった。

見つかった位置は、ほとんど全ての捜索参加者、

それも熟練漁師たち、海上保安庁の人たちの予想を超え、

失踪推定場所から遠く離れた最初画像の×の位置。

12.54kmも離れた場所で見つかった。

風、潮、波、救命胴衣、色々な要因が重なっての結果なんだろうけれど、

1日でこんなに流されるものなのか。

 

しかし、1日で見つかったのは不幸中の幸いなのかもしれない。

もし、海の中に沈んでいたとしたら、

底引き船やまき網船などの漁具を使って探さなきゃいけなくなるし、

それこそ何か月、何年も見つからなかったかもしれない。

 

何はともあれ、見つかったという報告が無線からあったので

全員現場に駆けつけて、遠巻きから海上保安庁の職員さんが

遺体を船に収容するまで見守って、当日は解散。

 

県を跨いだ見つかった事だとか。

漁船が国を超えて米軍の基地で見つかった事だとか。

病死なのか事故死なのかの検死も必要だとかで

遭難者はしばらく島に帰れないみたいだけれど

それでも遭難者が見つかった時、無線から聞こえた

「見つかったみたいだからみんなで迎えにいこうや。

みんなで島に連れて帰ってやろうや。」

ってのが誰の声かは分からないけれど沁みたなあ。

 

いやあ。

色々考えさせられた1日だった。

 

将来、サタケも1人で海の上で操業するようになるワケなんだけれど、

救命胴衣だけじゃあなく、サバイバルキットみたいなのも

常日頃から身に着けていたほうが良さそうだとか。

 

そんなのも含めて。

 

そして余談だけれど、

下記が今日、19日までの

この事件を含めたサタケの行動時間表(事後まとめただけ)。

 

17日:

第一次捜索から島に戻ったのが20時。

飯食ったり、風呂に入ったりで22時あたりに就寝。

 

18日:

午前2:30に起床。

午前3:30に出漁。

午前5:30に帰港。

午前6:00に島で第二次捜索の打ち合わせ。

午前6:30現場に移動開始。

午前7:30現場に到着。捜索開始。

午前11:30。遭難者が見つかる。

午後12:40。帰港。

午後14:30。当日早朝に漁獲した魚の出荷作業完了。(休憩なし!)

午後15:00。再出漁。

午後16:00。翌日早朝に上げる刺し網を現場にしかける。

午後16:30。帰港。船を深夜の流し刺し網用のものに乗り換え、再出漁。

午後18:00。流し刺し網を現場に仕掛け終わる。

午後19:30。帰港。お師匠の家で晩御飯を頂く。

午後20:00~22:00。家で仮眠。

午後22:30。流し刺し網回収に出漁。

午前02:30。帰港。流し刺し網で漁獲した活魚の出荷準備開始。

午前04:00。出荷準備完了。04:30までちょっと休憩 & 着替え。

午前04:30。出漁。刺し網を回収。

午前06:30。帰港。刺し網で漁獲した魚の出荷準備開始・・・

 

 

こんなん俺も死ぬわ

 

何この米軍特殊部隊の選抜試験みたいなスケジュール!

あまりの疲労感にそんな考えが頭の中を支配しだしたので、ここでサタケ脱落。

二次災害ってこういうことか

元々流し刺し網の後は休んでいいと言われていたのだけれど、

根性と意地で続投。

そして限界を迎え、休ませてもらう → イマココ。

という流れ。

 

いやあ~

 

そりゃあね。

 

まだ慣れてない仕事ですし。(イイワケ)

お師匠みたいに働けば働くほど自分のお金になって帰ってくるのならまだしも、

サタケのような研修生の身分だとそうもいかないですし。

いくら今の経験が、苦労が将来自分の財産になる、お金以上の価値になる。とは

頭の中で分かってはいても、ね。

サタケも34歳だ。損得勘定くらいはする。

目の前にエサがなければ心も続かない。

それでもベストは尽くした。

これ以上要求するのならば、それは「やりがい搾取」ってヤツだ。

明日最大の力を発揮して働くために今日休むのだ。

Live to fight another dayってやつだ。

 

なーんて自分をひたすら正当化して、休ませてもらったけれど。

 

・・・この敗北感はなんだ。