往年の名作『タクティクスオウガ』より。

 

今日はネガティブかつセンシティブな内容。

暗黙のうちに「語ってはいけないこと」になっている感はあるが

あえて斬り込んでいく。

 

テーマは「イワシ網漁の実態について」だ。

 

というのも、この画像。

白色、銀色、泡っぽいものは全部

それも捨てた

佐竹を含む漁師が手を出したがために死んだ

獲るだけ獲って、必要な量だけ獲って、獲り過ぎたらポイ。

命だけ獲ってポイ。

 

この中には生きているのもいるけれど、

それは全体の1割くらいなんじゃないだろうか。

しかもその中でも生き残るのはきっと、ほんの一握りに過ぎない。

 

そりゃそうだ。

 

 

こんなに寿司詰めにされちゃうんだもん。

死ぬよね。

人間だってこんなんされたら死ぬわ。

 

では、なぜ、命だけ奪われてそのまま捨てられる が出てくるのか。

なぜ、こんな事が起こってしまうのか。

 

そりゃもちろん漁師の勝手な都合に過ぎないんだけれど、

理由を付けるとすると「鮮度」。

この一言に他ならない。

 

イワシ網漁は時間との勝負だ。

操業できる時間が決まっているのはもちろん、

  をどれだけはやく加工設備に通すかという点でも時間との闘いになる。

 

というのも死んで時間が経った 、つまり鮮度が落ちた というのは

「腹切れ」と呼ばれる極端に値段がつかない「 いりこ 」になってしまう。

文字通り鰯の腹が切れた、破れた不格好な「 いりこ 」になってしまうのだ。

(このため、 を運搬する時は氷をうって鮮度を維持する。)

 

どれくらい値段がつかないかというと、

船と加工場がボイラーで消費する燃料費を加味して、赤字になるくらいらしい。

(でも決して味や出る出汁が不味くなるわけじゃあないみたい。

本当に見かけだけ・・・)

 

そのため、 が大量に獲れ過ぎた時は・・・

網内の上澄みだけ掬って、死んだり、弱って網内に沈殿した鰯は

価値がないと判断されて最初の画像のように大量放棄されてしまうのだ。

 

こんな事が、佐竹のいる浮島近海だけではなく、

おそらく日本各地の津々浦々で、日常茶飯事的に行われているのだろう。

 

いいのか?

これで。

このままで。

 

生き物への感謝の念もなく、

ただ、ただ金にならないからと切り捨てる。

大量に、命だけを消費する。

 

こんな事を何十年も繰り返しておいて、

ベテラン漁師ほど

「昔よりも は減った」

「昔よりも魚は減った」

などと悲観的にのたまいやがる。

 

敵を作るとしても、あえて言わせてもらおう。

確実に魚は減りつつあるのに、

魚が豊富に居た時代の漁を愚かにも続けているのだ。

 

魚が全滅するまで漁を続けるのが漁師なのだろうか。

自分は違うと思う。

海と魚と、自然と共存し、共に繫栄していくのが自分が目指す漁師像だ。

未来に豊かな海を残さずして、何が漁師なのだろうか。

自分だけが良ければそれでいいのか。

 

そりゃあ海に捨てたら海の栄養には還るんだろうけれど。

自分にはそれが正しい事にはとても思えない。

それだけのために生き物を大量に殺すのはどうかと思うのだ。

 

では、具体的にどうしたらこの問題を解決できるのか。

 

捨てられる鰯を全部自分で持ち帰って大事に食べる?

NOだ。一人で食べきれる量じゃあない。

第一、捨てられる を全部船に上げるのにも人の力が要る。

金がかかる。

残念ながら自分はそんなに金持ちじゃあない。

 

網を小さくして必要な分だけ獲る?

NOだ。毎回網がいっぱいになるまで獲れると決まっているわけじゃあない。

これだと少ない量しか獲れずに、今度は商売にならなくなる。

きっと多くの関係者がやっていけなくなる。

 

他の漁のエサにする?

これは結構建設的に思える。しかし、脂が乗った じゃあないと

アナゴ籠漁にも効果的に使えない。

そして毎回脂が乗った鰯が獲れるワケじゃあない。

効率的に漁が行えないと燃料費がかさむし、

結局燃料を燃やすことで海の汚染が進むのだろう。

 

ではどうしたらいいのか。

 

自分が考えるに、これは腹切れにも価値を持たすしか方法はないと思う。

見かけが悪いだけで味が変わらないのなら、

今の時代、やりようはいくらでもあるように思える。

 

情報を発信して人々の価値観を変える?

6次産業を発展させて、捨てられる を加工して売る?

 

・・・

 

全ての物事には意味があるという。

 

もしそうならば、

イワシ網漁のような、集団で行う漁にまるで興味がなかった自分が

漁師になるために、不本意にも研修にこのイワシ網漁を組み込まれたのにも

何か意味があるはずなのだ。

 

きっと、自分の使命はこれなのだ。

青臭い事、キザな事を言うけれど、

漁師として、声なきものたちのために出来る事がきっとあるはずなのだ。

 

個人的な探究になるかもしれない。

だけれど、自分の人生に意味を持たせるためにも挑戦してみたい。

 

手を汚しつつも、そう思っている。